a03a21b7.jpg































先日テレビ番組をみていて懐かしくて回想に浸りました。

番組『アンビリーバボー』で、内容は旅行代理店のエイチ・アイ・エス H.I.S の設立者のストリーです。

私が始めてイギリスの大地を踏みしめたのは1984年2月でした。
当時は航空券が高くてツアーも高額で簡単には海外旅行できなかったのです。

安い航空券があると聞いて足を運んだのがHISでした。
確か、仙台アメ横の雑居ビルの二階に上がると狭い部屋があり、女性が一人対応してくれた記憶があります。
海外旅行について詳しい人がいなかったので相談に乗ってもらいました。
実際にイギリスに行くまでは情報が少なく大変でした。

実は、航空券を予約しながら2度キャンセルせざる得ない状態だったのです。

1度目は、イギリスとアルゼンチンによる戦争が勃発したことです。
1982年、フォークランド戦争です。
戦争の舞台はイギリスでなくとも、もし戒厳令なんかあったら帰国できないのではないかと懸念して
行けなくなりました。
ひとまず計画を延期しました。
そして、2度目の予約は一緒にイギリスへ行く友人の祖父が突然亡くなり、これまた中止になりました。
このときは既に航空券を予約していたので、キャンセル料金を払うというダメージ付きでした。

イギリスへ行くために会社をやめたあとでしたが、一旦は様子をみるために他の会社に就職しました。
しかし、どうしても行きたかった私は、また計画をたてました。
そして3回目は、私の父親が入院するというアクシデントもありましたが、
もうこれを逃したら2度といけないような気がして、親不孝な私、強行手段に出て渡英したのです。

この時、海外へ行くことを諦めかけていた私達の背中を押してくれたのは、
まだ大手の旅行代理店ではなかったHIS仙台店のスタッフの女性でした。

海外旅行が簡単でなかったあの時代に、資金がなかった若者は安い航空券を探したりして
何十時間もかけて海を越えて行ったんです。
そのエピソードを聞くだけでワクワクしましたが、大変な思いをしていたのも事実です。

私の初めての国際便はアエロフロートでした。
モスクワ経由でした。
あれから1度もロシア(当時ソビエト)には縁がないのですが、モスクワの大地を踏みしめたのは
今でも衝撃が残っています。
記念に航空券を保管しています。
ちなみに画像がそれです。

そして、海外へ行った人に会うと必ず情報交換をしていました。
日本に来た外国人も安いルートを知っていたので教えてもらいました。

パキスタン経由、韓国経由、シンガポール経由、香港経由、鉄道を使う人もいました。
今思えば貧乏旅行は楽しかったです。

いきなり5週間滞在という無謀な計画で、ホテルではなく自分達でアパートを見つけての
滞在でしたのである意味真剣勝負でした。

今ならインターネットもあるし、電話も簡単にできるので少しの不安は払拭できますが
あの時代は何が起きるのかわからない旅でしたね。

もちろん正規の留学もありましたが、私はそちらにはまったく興味はなく普通にロンドンに
住みたかったのです。

現地では日本人との交流はほとんどなく言葉はわからなかったですが、いろんな国の人と交流していました。
そのときの体験が私にとっては最高の授業でした。


パスポートの取得も難題で、銀行から残高証明書をもらわないと申請できない時代でした。
だけど、結局便利な世の中になろうとも日本人が海外へ一人で旅をするのはとても困難な気がしますね。
やはり、島国のせいでしょうか?

大平洋からは誰も攻めてこないし、陸は続いていないし、鎖国状態になるのも仕方ないです。

だからこそ、自ら出向いて行かないとならないのですね。
若いうちに海外へ行くのはその後の人生に大きな影響を与えます。
かわいい子には旅をさせろ!ですね。