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(←小樽行きの列車の車窓から一瞬で撮った写真。 電柱の番号が33)





私は死ぬのが楽しみに感じる時がある。
誤解のないように初めに書いておくが、自殺願望あるわけでも、死に対しての幻想を描いているわけではない。
厳密に言えば、この三次元の世界を離れて宇宙の次元に行けば、今、知りたい答えに出会えるかもしれないからだ。
ワクワクして魂がじっとしていられないほど高揚感がわいてくる。
人は死んで、意識を失うわけでもなく、記憶が消えるわけでもない。
むしろ、死ねば生きてきた以上に物事が鮮明に見えて、真実を知る機会に近づくのだ。
これもまた、誤解のないように書いておくが、すべての人がそうなるとは限らないらしい。
一部には死を受け入れない三次元執着型タイプは、生きてきたことから離れられない。
そうなれば爽やかな死を迎えるのも難儀だ。
例えば、偏ったエゴ、お金を失う不安、地位を失う、権力を失う、怨みが残る、これらのエネルギーは
この世界にあなたを引っ張る原因となる場合もある。

死を考えた時に何が私たちを怖がらせるのか?不安にさせるのか?

それは生まれてきた人生の目的が達成されていない失望感が不安を生むのだ。
まだまだやり残したことがある。
私の人生はもっと違う道だった。
その失意がこの三次元の世界から死に向かうことをためらわせて、この世界に残るようにしむける。
何も残すまい!と潔い人生を歩んでいる人は強く、明るいのだ。

もしあなたが人生を楽しく充実させていたら、いつ死がこようともニコッと笑いながらいくのである。

私も考えてみた。
何が私をこの世界に引き止めているのか。

① まず、やることがあるからだ。
生まれてきた目的がある限り、最後まで遂行するために生きている。
最近はそのほとんど任務に近いものが、私を元気にしながら前へ前へと奮い立たせるのだ。
それが今関わっている仕事、スピリチュアルに関すること。


② そして、もう1つ離れがたい原因はこの世界への愛である。
特に、人を愛する、これは何物をも越える究極のエネルギーである。
愛は普遍であり、すべてのベースになっている。

私を裏切り、支配し、見下すエネルギーでさえ、私がひとたび愛のエネルギーを引き出せば、
闇を光に変えることもできるはずだ。
何故なら、愛は絶対的なものだから。
100%の無償の愛がここにあったなら、きっとあなたは毎日悦びながら生きられるはず。

愛をどうすれば、手に入れられるのか?

一番簡単な方法を教えましょう。

それは愛することを実践する。

愛は身勝手なエゴから発してしまうと、見返りを期待して、手に入らなくなった瞬間に憎しみに変わるのだ。
愛は憎しみと裏合わせなのである。
人生を楽しく充実させたいなら、人を愛することをお勧めする。

人間にとって死に対しての躊躇は愛する者との死別なのだ。

大好きな人がここにいる限りやっぱり、まだあちらへは行けないんだろう。
だから地球に留まる選択をしている。
それでも一旦は離れないとならないこともある。
いずれはまた出会うにしても離れるのは寂しいものだ。

この世界を去ることで、別れる苦しさ、愛別離苦(あいべつりく) を味わいたくない。

だから、この地球に留まって、愛する人へ思いを送っているのだ。


きっとその愛は宇宙エネルギーのソウルメイトだから離れたくないのだろう。