言葉がぶっきらぼうな大人がいる。
人を食ったような言葉を吐く人がいる。
態度も悪けりゃ、言葉も悪い。
しまいには性格が悪くて人間性も悪いとみなされる。
まわりの大人に言われなかったのか?
友達に指摘されなかったのか?
「あなた、態度も言葉も悪いわね。
直した方がいいですよ。』
そう言われなかったのか?
言われても無視したのか?
まわりが同じ人間だらけだったから何にも感じなかったのか、己のおかしさを。
こんな言いにくいことを面と向かって話してくれるのはありがたいことだ。
私は今なら感謝している。
10代の頃に友達に言われたことが、この歳になって胸に染みる。
確かに皆も言われてるはずである。
きっと今だって指摘されているはずだ。
家庭を持っていたり子どもがいたりしても、その言動は直っていないだろう。
きっと、自覚がないからなのか。
直す意思もないのか。
本人が自覚なければ変われない。
自覚とは大切な意識だ。
人間としての成長はこの自覚にかかっている。
先日テレビ番組を見ていたら、17才の女性が母親にきちんと育てられなくて学校も行けなくて、もう施設には入れてくれないので、自立して生活保護申請して生活している姿が映し出されていた。
きちんと教育受けていないから自分は人間として大丈夫だろうか?悩んでいた。
ご飯もちゃんと作れない。
掃除もできない。
だけど、彼女の偉いところは、だらしない母親を守ろうとしているのだ。
虐待されて、まともに育てられていないのに、母親には恨みはあれども、やはり親子だから縁は切れないと言いながら、お金をためていざ母親が倒れたら面倒見ると話していた。
健気な子どもの心に泣いた。
こういう子には本当に幸せになってほしい。
子どもは親がダメでも育つ。
彼女の親は未熟だろうが、ちゃんと子どもは育っていたんだ。
環境は大事だ。
回りの人間の影響を受けるからだ。
だけど、反面教師もあるのだ。
環境をバネにして強く生きた友人をたくさん知っている。
私のまわりにはそんな人間ばかりいた。
ご飯も食べさせてもらえない友人もいた。
私が出来ることは、おこずかいをあげることだけだった。
家に行けば、その子の親に追い出されるからだ。
今なら大変な事件だ。
だけど、昔はそんなことばかりあった。
だから皆強く生きるしかないのだ。
誰も助けてくれない。
この世の中の無常にいつも泣いていた。
だからカウンセラーの仕事をしているのかもしれない。
何十年も前から、私はずっと 人間とは?人生とは? を考えていた子どもだった。
悩んで悩んで、疲れはてて、また悩んで今がある。
今は悩まなくなったが、相も変わらず人間のことはよくわからない。
ただ、闇から光に向かう人間の姿だけは見えるようになった。
光が見えることは、本当に幸せだ。
自分を光で照らせば見えてくるからだ。
人にも光をあてれば見えてくる。
私の仕事は闇に光をあてることだから。