今から15年前、東京のとある通信制大学の教育学部に入学しました。


当時、ヘルパーの資格を取得して介護老人ディサービス施設で働いていました。
いずれは大学を卒業したら社会福祉士になり福祉の現場で働くつもりでした。

結局私は教員免許はとりませんでしたが、その時の授業を受けることは今にして思えば
その後かなり役に立ちました。
当時はちょうど教育改革の議論が高まっていました。
「ゆとり教育」を導入する方針に決まっていたのです。
私もゆとり教育について調べましたが、たぶんあのぬるい教育論では崩壊するだろうと考えていました。
むろん、ゆとり教育を唱えた関係者たちはどう考えていたのか?
それに関する本も読みましたがモヤモヤでした。
確か、授業でゆとり教育についてのレポートを提出した記憶があります。
私は自分が詰め込み教育だったのでゆとり教育はある意味羨ましかったのですが、
教育を学んでいくと、何故教育は必要なのかわかってくるので、授業をカットする考え方は、
果たしていいのだろうか?と、おろそかにはしたくないという気持ちも芽生えていました。
とにかく、ゆとりが現場にどう影響するのか未知の世界でした。

それに、日本の教育がアメリカの後追い教育であることも知りました。
日本は戦後はアメリカのコピーをしていたんですね。
アメリカの教育が危うい状態だったので、日本もまずいことになると感じていました。
ならば日本が自立した教育を考えることに携わり、学者の道もいいなと考えてみました。
けれども、教育に何か限界を感じていたのも事実です。

私の母の家系は祖父が校長をしていたこともあり、親戚は教育者ばかりいました。
叔母と教育勅語の話をした時は異常に盛り上がりました。
何故なら叔母はまさにその教育を受けて学校で教えていたからです。
なので、私にもかなりその血は流れていたのでしょうが、どうも学校が嫌いでした。
子どもの頃から不登校気味だったので、教員の器ではないんですね。
組織とか団体が苦手でした。
それは今も変わらないんです。
結局、学問の道ではなく、現場で一人一人に対面するカウンセラーの道に進みました。
それも人生相談の一般的なカウンセラー=人生相談員が性に合っていました。
教員からかなり外れましたね。

私が通っていた大学の生徒に教員や塾講師、会社員も主婦もいました。
他の大学で学んだ人もいました。
実に多種多様の人がいたので本当に勉強になりました。

それに私の場合、仏教に強く関わっていました。
人間の歴史にも多大な影響を与えてきた宗教の概念はそう簡単なものではありません。

私は人生を根底からひっくり返す理論を探していたのです。
そして、心理学でも宗教でもなく、
巷にある本を読みあさりながら、血を吐く思いで辿り着いたのがスピリチュアルだったのです。
しかし、根本にそれらの学問の学びがあったからこそのスピリチュアリズムだということを
付け加えておきます。

スピリチュアリズムが単なるオカルトだと思っている人はとんでもない誤解です。
もし、世界中の学問を学んでいけば必ず何処かでぶつかるのがスピリチュアリズムなんですから。

わかったことは、無駄はなかったということ。