
未来へ繫ぐ高次元の入り口。
剣のごとく光が。
ここの場所は人によって光の色がちがって見えるそうだ。
カラフルな色もあれば、何にも写らないこともある。
まあ。どちらでもいい。
見えようが見えなかろうが、住職に言わせれば『だから何なの?』
ここが有名になればなるほど全国から、我こそは霊能者だ!と自慢者がやってくるそうだ。
占い師も、神職の方も、あいつもこいつも、わさわさ集まる。
皆んな、何をみてるのかな?
まあ、それもどうでもいいか。
それより、そんな人たちをうまくあしらっている住職が私は超大好きだ。
私は自分が楽しめればそれでいい。
別に見えたからって『何なの!』
住職がいつも話されている。
見えたからなんだっつうの?
ウヒョウヒョ 😎
何だかわからないのが面白いのか。
静かに神と語らい、時には楽しくガイドと遊ぶ。
それでいい。
円明院は、仏と神が共存しているから気持ちがいい。
そして、宇宙人も現れる。
こんな楽しい場所はあまりないんだから。
そして、まじめな話、本当の目的はこの地域の復興にある。
せっせと南相馬に通うのは、やっぱり復興のため。
日本中の人が原発の意識を忘れずにここに集う。
それこそが神、仏の思いではないだろうか?
神は一番大変な場所に現れる。
仏は慈悲をもって気付かせる。
人間が破壊した自然は人間が元に戻す。
これは義務である。
仮に自然は元に戻らなくても人が住めるようにする。
自然との共存。
放射能で汚れた海や大地を見ながら祈るのは大事だって思う。
奥の院で海を見ながら、自然を汚してはダメだと深く思う。
だから、私は通うのかもしれない。
波の音を聞いていたら、自分の欲も忘れてしまう。
涙が出てくる。
海を汚したらダメだ。
命の源だ。
人間の愚かさも未熟さも許してくれる神々に感謝。
生かしてくれる仏に感謝。
神がいるところは浄化をして、お礼を述べる。
それができないと、どんどん神は弱くなっていく。
自然を汚したら神は弱まるということを知らない人が多すぎる。
神社のパワーが弱まったのは、神社を汚した故、そのせいで神の力が弱まったからだそうだ。
円明院の神仏のパワーは凄い。