ここのところ、私生活は苦悩状態が続いています。
テレビでは、戦争の被害に苦しんでいる映像が流れている。
生きることが当たり前じゃないこの世界を見せられています。対岸の火事ではないんですよね。
日本だって戦争をしてきたんですから。
ときどき、同じ世界にいるのは奇妙な気がします。映像の不気味さです。
でも私たちは、311であの孤立感や絶望感を味わっているので、全くの鈍感ではないはず。
人によってはその痛みは計り知れないけど、同じ人間だってこと忘れないでいたい。
だけど、全く戦争や災害に縁がない人間もいるし、ボケーと生きている人もいるのがこの世界。
人間って、バラバラです。他人の苦しみには無関心で、本当に愛も慈悲も薄い世の中になってしまいました。想像力の欠如。他人を思う心の希薄さ。それが不気味な理由です。
私の仕事にも関係している「スピリチュアル」というジャンル?も、時に妄想や空想な世界へ逃げ込むには、もってこいですね。私はスピリチュアル関係のビジネスは不本意です。
自分が子どもの頃から特殊な体験をしてきましたが、そこに逃げようとは考えていません。
あれが妄想か現実かわかりませんが、そこばかり見つめているスピリチュアルの信者は気持ち悪いです。
この世に人間として生を受けてきたということは、人間の苦しみも楽しみも体験できるわけです。
ときどき襲いかかる辛い人生もその中の一つだと受け止めるしかないと思っています。
そして、少しでも楽に生きられるように、幸せを感じるために宗教や哲学、心理学、スピリチュアルを学んでみたのでしょうね。
弱さを恥じることなく、そこから学ぶということ。
それが人間の本来の姿だと信じています。
私の選択は若い時に学んだ仏教による生き方が強いのですが、今になってまたその思考が私を救います。
客観的に自分を見るには、確かな思想を知ることですから。