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定義山に連れて行ってもらいました。
宗派の関係で、行ったことなかったんですが、
今はフリーの身なので、どこにでもお参りに行けます。

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今日は、「
定義とうふ店の三角あぶらあげ」が目的です。
私は、むやみやたらに、寺院や神社には参拝しないことにしていますが、定義山は空気が澄んでいて、
山のオーラを見ながら、カルマとしてこびりついていた悲しみや苦しみを浄化させられました。



一緒に行った友人が何でも話せる私と似たような感性の持ち主なので、帰りの車中で辛かった話をしながらセルフカウンセリングをしていました。
こんなこと、20年ぶりかもしれません。
如来の力は凄いです。
私は神社より寺院が合うのでしょうね。
"仏"という存在は、内観するからこそ浄化に繋がるので、お参りはしなくても、心を合わせて感謝すれば、自ずと六根清浄ができるんです。

心の内にある思いは誰にでも話せるわけでなく、本当に感情がある人、他人の話を聞いたり、共感できる人にでなければ話せないよね、と確認しました。

カウンセラーもチャネラーも、人間性が大切。
人間として感情がない人には、向いていない職業です。

今日は自分の人生を語りながら思いました。
なんて苦しみを耐えてきたのだろう。
優しい人であることはある意味辛い修行みたいなものだと。
我が身から招いたカルマを今世で落とすために、凄まじい辛さを味わうことがある。
逃げれば来世に持ち越す。
それをカルマといいます。
その辛さを乗り越えるには、愛が必要です。
エゴ、自分だけを大事にする汚れた魂があるうちは、今世の問題の解決はできない。
都合がいい言葉ばかり寄せ集めても何も良くはならない。
だから、私はスピリチュアルに妄想を抱く人を残念に思う。


六根清浄とは、六根つまり人間の知覚である眼・耳・鼻・舌・身・意(心)のことで視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の五感に心を加え、穢れにふれた時に神徳を以て清浄に保って救いを求めようとする祈願詞であります。

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定義山は仙台の隠れた観光スポット。定義山にある「定義如来西方寺」は、縁結び・子授・安産などのご利益があると有名で、毎日多くの人たちが訪れています。

また、定義山で有名なご当地グルメ「定義とうふ店の三角あぶらあげ」は定義山に訪れたら必ず食べておきたい逸品。小旅行や、寺院巡り、お腹を満たすのに最適なのが定義山散策なのです。

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