前回書いた我が家の神社参拝体験について補足。
家庭のことは詳しくは書けませんが、塩竈神社を最後に神社に行くことをやめました。
既に仏教に縁していたのでそこから日蓮仏法をまなびはじめました。
よく日本人は無宗教だといいますが、神社参拝やお盆、お彼岸の時のお参りも立派な信仰だと思いますよ。それを蔑ろにしている人間もいますが、そういう人は話をすると心の中は空洞にみえます。
人は何かを信じることで生きる道をみつけることもあります。
導かれると言います。大切ですね。
話は少し変わりますが、私の仕事に占いのようなまじないのようなエネルギーを使うことがあります。
それはある意味目には見えないものとの約束ごとに添いながらメッセージをいただく感じになります。
長い年月をかけて信じられる物を探し、信頼を深めながら人生体験を積み重ねていきます。
信頼がなければ成長できません。
人生って知識ほどの経験がありませんね。
だから薄っぺらいんです。
経験がないと魂も振動しません。
感動って震えですから。
私は、神社体験が薄いので知識を得ながら少しずつ体験を重ねています。
まだ神を視る目はさほど養われていません。
あとは前世の体験の記憶から引き抜いていくしかありません。