昨日は、友人とアスペルガーについて、話をして散々盛り上がった。
勉強にもなるし、自覚症状の点検をすることで、他人分析もできる。
私たちは、ハードな人生を生きてきたから、人間というものにとても敏感だ。
特に友人は、人の観察がずば抜けていて、話しをしていると楽しい。
共感性が強すぎて気の毒になるが、私もHSPなので他人の言葉に傷つきながら
生きてきた。それをわかってくれる敏感さを持つ人が大好きでたまらない。
だから、空気を読まない人といると、カサンドラ症候群になる。
そのストレスを語り合う仲間はあまりいない。
皆、大変なストレスにさらされながら耐えている。
他人のことだから、話題にはできない。
職場、家庭でカサンドラ症候群になっている人がたくさんいる。
よく相談もされる。
はっきり言うと、どうもできない。
諦めよう。
未知の世界からやってきた異星人ぐらいの感覚で対応するか、スルーするしかない。仕方ないのだ。脳の構造が違うのか、話が噛み合わない。
だから、それを客観的に分析できる人に合うと、神様から贈り物をいただいたくらいに嬉しい。
友人との会話は面白い。
昨日は、びっくりドンキーでの話。
食後、さりげなく互いにメニューをみていたことに気づいた。
そのメニューの見方が全く違っていたのだ。
私は、ひたすら写真から情報を得ていた。
友人は、商品名を分析していた。
そこから話が盛り上がる。
いつだってわたし達は、ネタにする。
ちなみに私は、看板や絵やマークなどを何回も見るタイプ。
文字よりも、色彩や形から入る。
友人は、言葉の意味を分析していく。
私にしてみると、何回も絵を確認する行為は負担で疲れる。
時には認識が違うから勘違いした記憶になり、さらに疲れる。
逆にそれが豊かな想像や発想につながり、人間をみるときのバリエーションにもなる。
偏見を超えて受け入れるのは得意だ。
でも、感性がずれて、会話が噛み合わない発達系は私からみれば、
狂気の世界だ。
こちらの脳が混乱するから不快感しかない。危険さえ感じる。
私のぶっ飛び感を楽しめる友人は、天才だ。
互いに尊重できるからだろう。
否定しない人といると楽だと思う。
ネガで否定の強い人は苦手だ。
メニューひとつで話題にして、互いを認めていく会話が楽しい。
至って私たちは、ポジな性格だ。
あんなに地獄を見てきたのに、見てきたからこそのポジだ。
私をネガだと思って助言してくる人は、まだまだ勉強が足りない。
わざとネガぶっていることを見破るまで10年かかっても気づかないらしい。
修行足りませんね。
友人は、得意の共感性で私を理解しているのかもしれない。
笑笑。